生徒側の感覚が
「(言われなくても)わかっている」
となっている場合、
往々にして指導者側に問題があると思っています。
何故かというと、
「わかっていない事こそが、あなたを成長させる」
という大前提を伝えることが出来ていないからです。
わかっている事を出来るようになっても、
本当の成長はしていません。
ただ、出来ないことが出来るようになっただけです。
それも成長といえるのかもしれませんが、
個人的には、
やる気さえあれば出来て当たり前の範囲内だと思います。
では本当の成長とは何か。
それは、
「認識すらできていなかったことを、認識できた瞬間」
だと私は思います。
例えば、海外から来た人に風鈴の音色を聞かせると、
最初は、音が鳴っている事すら気づかない人が多数います。
我々が
「このリンリン♪となっているのが、日本の風鈴というものですよ」
と説明して初めて、
風鈴がある事と音が鳴っている事に気づきます。
もちろん、音は最初からずっと鳴っています。
海外の人からすると風鈴という概念がないので、
まるで現実世界に存在しないかのように、
盲点になります。
この盲点という感覚が重要です。
既にあるものを認識する=概念を新しく構築する
という事は、
我々が思っている以上に難しいことです。
だから、
わからなくていいのです。
わからないからこそ、概念を作るチャンスが生まれ、
成長が出来るのです。
わからなかったことをわかっていると考えるのは、
わかからない事よりも状況が良くないことが多いように思います。
それは、風鈴なんて知らないのに、
「ああ、音が鳴ってるね」
と返事をしてしまうようなものですから。
指導者の本来の役割は、
概念を新しく構築してあげること、
であると思っています。
生徒側が、
それをわかったという気にしてしまうのは、
あまりに勿体ないことで、
指導者としては完全に力不足だと思います。
自戒を込めて。